こどもの頃、このデザインが苦手でした。
金花詰という九谷焼の絵柄
小学生の頃でしょうか家にも会社にもこのデザインの食器がたくさんありました。なんでこの絵柄の食器が私の周りにあふれていたのか当時は解りませんでした。むしろ興味がなかったんですね。
僕の祖父は九谷焼の絵付職人でした。
神戸から石川県に移り住み九谷焼の絵付けと出会い、そして章山窯(しょうざんがま)という窯元を築きました。なので私は会社の跡取りとしては二代目ですが絵付職人をしていたならば三代目になるわけです。
冒頭の九谷焼の写真に描かれているのが現代の九谷焼にも見られるデザインで「花詰」(はなづめ)と呼ばれるデザインです。金色の線で縁取りや模様を描きこんであるものを通称「金花詰」(きんはなづめ)と呼んでいます。
この花詰と呼ばれるデザインを九谷焼で最初に確立したのが祖父だと言われています。
祖父は西田章山(にしだしょうざん)という職人名でこの花詰というデザインを描き続けそして海外へ輸出していたそうです。
このデミタスカップも洋食器であるように、この花詰というデザイン、最初から海外の市場をターゲットとして描いていたそうです。なので実家には、花詰のティーポットやシュガーポット、ディナープレートや燭台、ランプなど洋風なアイテムが祖父の作品として残されています。
生まれた時からこのデザインの中で育ってきたので、この派手派手しいデザインが普通というかむしろ個人的にはシンプルなものが好きでしたので特に大人になるまで興味を持つこともなく過ごしてきました。
さて20年前、崖っぷちの会社に呼び戻され時、この派手派手しいデザインの作品が山のように在庫として残っていたのです。僕の中では「この時代遅れなデザインが会社をダメにした」とさえ考えていました。なので新たに花詰のデザインを自分なりにリデザインして今の時代に合うテイストに変えるような試みもしてみました。それでも花詰というデザインはその当時のニーズにはなりませんでした。
今、注目されるデザインへ
それから十数年の時を経て、今、花詰が再注目されています。ここ10年くらいでしょうか、シンプルなデザインに反し過剰な絵付けと言いますかオーバースペック気味なデザインが注目されています。祖父のお弟子さんたちが描き継承してきたデザインが今、人気のデザイン一つとして注目されています。
私が知るかぎり花詰のデザインのブームがあった時代は約50年前、そう半世紀を経て再度、世の中に存在感を示せるようになったのです。
ただ残念なのは祖父の直系のお弟子さんは、ご高齢のため絵付けをすでに引退されているため祖父のデザインを継承したものがありません。
それでも「金花詰」という名前で多くの方々にご注文頂けるデザインとして残れていることが嬉しく思うのです。
祖父が描いた花詰、それが始まりとなり九谷焼のデザインとして定着し一つの歴史となったことを考えると孫としては喜びしかありません。そして実家に残る昔の作品を眺めている中に明らかに九谷焼ではない花詰の作品が数点あるのを見つけ、祖父が描いた花詰の原点を知ることができました。
それは九州の薩摩焼でした。薩摩焼の絵柄の中に細かく花を描きこんだデザインのものがあります。その花は極々小さい花のデザインでかなり繊細な作業を必要とするデザインです。祖父はその繊細なデザインの下地の部分を判子で簡略化することで手描きの良さと均一したデザイン品質を実現し量産できる産業工芸として描いたのが章山花詰の起源だと考えています。ただ祖父がいない今、実際のところはわかりません。
祖父が亡くなった翌年に私が生まれているので会ったことはありません。むしろまわりからは生まれ変わりと言われています。残された写真と作品を眺めているとなんとなく祖父の人柄を知ることができるような気がします。
もしも祖父のDNAが少しでも私の中にあるのであれば、いつか私も後世に残る自分のデザインを作りたいと思います。
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